viernes, 13 de marzo de 2009

Náufragos –los supervivientes-

37()イベントレポート

この日は2本の上映会と2つ写真展が開催されていたので、大勢の方々が来館されました!

中でも目玉のイベントは、4/10から一般公開される話題のドキュメンタリー映画『アライブ』の特別先行試写会です。

197210月、45人のウルグアイ人を乗せた旅客機が雪のアンデス山脈に墜落。

そのとき運良く生きのびたのは29人。その後、死者の体を食す事で72日間を生きのび、無事脱出できたのは16人でした。 

そう、あの有名な映画『生きてこそ』の物語です。

『アライブ』は生存者が実際にその体験談を話す、大変貴重なドキュメンタリー映画です。

そして、なんと!  その試写会の後に、ウルグアイにいる3人の生存者と、セルバンテス東京の観客との間で、同時通訳国際生中継による質疑応答がありました!

3人はどこにでもいるような親しみのあるおじさんという感じで、リラックスした彼らは、開口一番軽い口調で東京の観客を笑わせました。

映画と生中継の内容の中から、心に響いた彼らの言葉を下記に幾つか記します。

「墜落後、まず最初に飲み水が必要だったので雪から水を作った。その次に寒さをしのぐ必要があった。そして生きていく為にたんぱく質が必要になった。苦しくて自殺しようなどと思う前に、そういうことがすべきことだった」

「墜落後、俗世間から隔離した場所で お金 ただの紙になり、 雪から作り出すものになった

「食べ物が無くて絶体絶命のとき、母を想った。以前母は、もし息子がいなくなったら私は生きていかれない、と語っていた。だから僕は母の為にもどうしても生きなければならなかったし、母にもう一度会うためにもどうしても生きのびたかった」

「死ぬ方が楽だとも思ったが、生きる価値があると思った。それは家族と再会することだ」 

「生還したあと物凄く感動した事は、 水道の蛇口からとめどなく出る水であったり、 心地よく眠れるベッド

だった

「遭難中、最も欲しかったものは 家族だった。また、景色の変わらない雪山で

も重要だった。 

「誰でも同じような状況に面と向かったとき、始めは生きのびる事が非常に困難で不可能だと思うことだろう。でも始めにそう思ったことでも、やろうと思えばできる。だから何事もあきらめてはいけない」  

彼らとのインタビューを観ていて印象的、且つ意外だったのは、彼らが体験した事実を話したがっているという事でした。事故で亡くなった人たちに代わって、命の大切さを世界に伝えたいという強い意志が感じられ、とても勇気づけられました。  

また、どんなに辛くても『生きる』ということを日本人に伝えたいとも語っていました。 どんなに辛くとも必ず解決法はある。 だから自殺などしないで欲しいと。

あばらが見えるほどやせ細った髭面の青年が奇跡的に生還し、その父親が力強く抱きしめ離さない姿にとても感動しました。 死肉しか食べ物がない状況で、それを食べるしか生きる方法がない絶望の日々をあえて「生き抜いて」過ごした彼らにとって、最も欲しかったもの、大事なものは、食料でもなく、楽な死に方でもなく、家族でした。そして最も欲しかったものが家族だったがゆえに、「生きよう」とした現実。 

「生きる」ということ。「生きたい」という気持ち。 家族への強い想い。

そういったものを再度見るために国際生中継の後、2階展示室に飾られた遭難中の彼らの写真を真剣に見つめる方達が印象的でした。  

最後にお知らせです。

生存者16名の証言が記された貴重な本がセルバンテス文化センター東京6階図書館に寄贈されました。また、写真展アンデスの奇跡はセルバンテス文化センター2階で3/28まで開催されています。 

(レポート R

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